感情は感情。
先日から調子が悪かったマルチーズ愛犬2号が、週末土曜日(8日)の深夜、日付が変わって日曜(9日)になって45分になくなった。16歳と6ヶ月。
彼女がウチにやってきた理由は、先住犬のコーギー(3年前に他界)が犬嫌いだったから。マルチーズなら他の犬と割合、仲良くできるらしいということを聞いたので、福岡のブリーダーから「顔」も見ないで、購入したわけだ。今だったら、考えられないことなのだが。
そして、福岡から羽田空港まで飛行機でやってきたのである。お迎えに行く前に「何か用意する方がいいですか?」と聞いたら、「ちゃんとお持ち帰りできるようにして送るから大丈夫、何もいらないですよ」と言われたので、そのまま何も用意せず、ただコーギー愛用のブランケットを持って行ったのを憶えている。
前の日に秋葉原で仕事用のPCのメモリなどを購入した時に体調がおかしいと気づいたが、当日はもうフラフラになっていて、一緒に友だちと貨物の受け取り場所に行ってもらった。遠くからキャンキャン大きな声が響き、あの犬じゃなければいいねと言ったら、そのキャンキャン犬が愛犬2号でした。
驚いたのはキャンキャン犬が入っていたのが、100均の洗濯カゴを上下合わせて、それを結束バンドで留めていたということ。「え!新幹線にこれで乗れ?ってこと?」と思っていたら、同じように子犬をお迎えに来ていたお兄さんとお母さんがウチの子にはバッグがあるから、これを使って・・・とバスの中で、フタのついたカゴをくれて、ありがたく静岡まで帰ってこれました。
そんなことで名前は空輸で来た子ということで空と書いて「くう」という名前に決まりました。
一番、私にべったり付いてきて、懐いている子で「気が強くておとなしい」というボスタイプのマルチーズでした。コーギーは「気が小さくて優しい」性格だったのでいつも空に気を使っていたように思います。
そんな空が最後まで頑張って、思っていたより衰弱していたのに最後まで水を飲み、生きようとしてくれたこと。とてもすごいって思いつつ、亡くなったときに心構えしていたせいか、なんの感情も湧いてきませんでした。
日曜の午前中には斎場へ連れて行きました。夢中で水分をとろうとした、頑張ったせいか、体液と一緒に血液が混じって流れてきたからです。だから、お別れの余韻はナシに等しい状態でお別れでした。
悲しい、寂しいという気持ちがフツフツと湧いてきたのは、日曜の午後になってからでした。やることはやった、でも・・・。という・・・の部分がなんなのか、言葉にできなかったけどモヤモヤしてて何も手につかない状態でした。なんだろう?どうしようか?って感じで。
夜、人と話をしているうちに「私はちゃんとやることは、やれることはしてあげた」「精一杯だった」と思ったら、悲しいと寂しいの感情だけが残って、【ああ、悲しいんだな】【やっぱ、寂しいんだよ】ってわかったら、モヤモヤしていた・・・の部分がスーッと抜けていく実感がありました。
今、この長文を書いていても「寂しいし、悲しい」けど、モヤモヤはないです。しょうがないもの寂しいのと悲しいのは消えません。3年前にもコーギーが旅立ったとき、同じような感じでしたが、その時はお別れの時間が友引という理由で多く取れたので、整理ができました。この短時間で整理ができ、モヤモヤが抜けたのはまさしく、人との会話から。
人と話すことはとても大切だと思いました。現在、LINEやネット、メール、SNSがあり、会話することが少なくなったと思いますが、やっぱり、話すことが人間のコミュニケーションの基本で、ビジネスの場でもとても重要です。
皆さんは、どのように会話していますか?・・・私はこれを機にもっと言葉を、会話を大切にしたいって思いました。